けんぶつざえもん

見たり読んだりしたことについて、ときどき書きます

「リトルプリンス 星の王子さまと私」見てきた。

 やっと見てきたのでネタバレもします。2016年最初に見た映画です。

 

 どうもあの丸い顔の上に眼球が張り付いているかのようなアニメーションの絵柄にまだ慣れないでいますが、作中の星の王子さまの場面はストップモーションアニメで作られていて美しかった。
 女の子がガソリンのにおいを辿っていく描写、映像で表すの難しいだろうなぁ、とすごいクンクンしているのを見ながら思った。それとそう、塀の穴をくぐって茂みをくぐりぬけていく場面でトトロを連想しました。車の中を蝶が飛ぶ場面などアニメならではの映像では?

 

 私は原作が好きというわけではなく、たしか小学生の頃に父から与えられて読んでそのとき「好きじゃない」みたいな印象を持った、ような記憶があってそれっきりなのです。当時から物語を読むのが好きでしたが、父に買い与えられた本って記憶にある限り『星の王子さま』(岩波少年文庫)だけだったためか、なんだか余計に大人に読まされる本というような、避けたいイメージがありました。
 それで今回見てみて、「あれっ、こういう展開だったっけ」と困惑しました。情けないことですが、すっかり忘れていたのでした。
 と同時に、女の子がじいさんから聞かされた星の王子さまの結末を納得できず、受け入れられないで混乱する場面で、「ああ…そりゃそう思うよねえ、8歳だか9歳だかだったら尤もだよねえ」と思ったら涙が出ました。私も全然記憶にないけど当時同じように憤ったりしたのかもしれません。
 うっかり涙が出たのは場面はもうひとつあって、終盤のお見舞いシーンです。じいさんとちびっこの話に弱い。
 さらに言うならば、あの後おじいさんがその場にいなくてもおじいさんはいつだって心の中にいて、同時にお母さん(このお母さんは常に娘のために最善のプランを練ってレールに乗せてる「つもり」で、実際娘のことを心配しているのです)との信頼関係を新しく築くことになる、という場面が描かれるのは物語のテーマ上必然なんだけど、それでもちょっと寂しかったかな。というかそれならばがっつり『夏の庭』みたいな話にしてもよかったのでは。

 

 樋が外れた後の、きつねが動いている場面から、「夢オチかぁ…」と勝手に展開を読んでしまって、それで大人の街の描写もはちゃめちゃで子ども向けという感じがしたけど、実際子どもが体験している話なのでそれでいいのかもしれない。明白に夢オチにしなかった点は逆に好感を持ちました。
 不思議と私はこの作品では空を飛ぶ場面にわくわくしなかった。「夢オチかぁ…」と予想を始めてしまったせい(不純)でもあり、飛行機がビルに突っ込んだりしそうな絵面がちょっと怖かったせいでもあり。
 正直いってプリンスがあんなことになってるのは見たくなかった。それと、吹替えを聞いてなんだか聞いたことあるような声だなぁと思って見てたけど最後まで誰だかわからなかった(土師さんは特徴的なので気付いた)。プリンスの人は流石に声優さんらしい演技で、かえって巧みすぎて浮いてるようにも感じたため、字幕で見たらどんな印象だったのか気になる。

 

 現代では、ある部分では、『星の王子さま』的なもの(作中でサン=テグジュペリの「Le Petit Prince」が存在しているのか最後まで私の理解はぼんやりしていた)を読ませようとするのは学校なのでは、と思いました。でも一方では小説なんて、物語なんて、勉強の、社会的な成功の無駄だっていう学校や大人も存在してるんだろうなぁ。
 現代は、といってもあの作品結構アナログな印象ですよね。女の子の身の回りにテレビやスマホもなさそう…?なのは教育方針かもしれませんが。あるのは百科辞典みたいに分厚いテキスト。あの子は絵本とか物語とか、あるいはぬいぐるみとかこれまで与えられていたのだろうか。

 

 それで大人の私としては是非とも原作を再読せねば、したい、と奮い立ったのですが、ちょっと検索してみただけでも色々邦訳が出ていて色々な論難があり、どれを読んだものかわからねー! ついでに激しい論難を見て、やっぱりこれを大事な作品として抱きしめてる人は拘りが大変!というやや失礼な感想を持ったりしました。
 原書で読めないのが残念だな。原書で読んでもわからないものはわからないのだろうけど。