けんぶつざえもん

見たり読んだりしたことについて、ときどき書きます

シュヴァルの理想宮

先日映画の「シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢」を見たので関連書を読もうとしたところ、日本語でまとまった本がほぼ『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』(岡谷公二)しかないのでは?という状態で。
昔一回読んでた気がするんだけど再読してみても映画と受ける印象が違った。
(というか途中からアンリ・ルソーやレーモン・ルーセルとの対比みたいな話になってしまうので、読んでいるうちに「ええ?」という気持ちになる。私は文庫で読んだので作品社版ハードカバーの写真もだいぶ削られていたのだ)
本で読む限りとりつかれたように自分の創作意欲に基づいて作業をしていた人という印象なんだけど、映画は彼なりに家族を大事にしていて、特に映画で娘の追善供養みたいな様相を呈していた。これが新解釈(?)なのか、映画らしい脚色なのかちょっとよくわからなかった。
確かに本にも娘を溺愛したとは書いてあったけど…岡谷さんの本読むだけでも色々な人の説が引用されており、本国ではこの時点で諸説ある状態のようで、岡谷本が出てから30年くらい経っててさらに研究が進んでいるのかもしれないし、ほかにも本が出るといいなあ。
とりあえず荒俣さんとかあのあたりの本を見てみる予定。

 

あと、たくさんのふしぎ傑作集で同じく岡谷さんの『シュヴァル 夢の宮殿をたてた郵便配達夫』が出ている。「シュヴァルが石をたくさんつめこむので、上着のポケットが片はしから破れてしまうことも」という場面のボロボロの服着た困り顔のシュヴァルと何か言いつのってるっぽいフィロメーヌの後ろ姿がほほえましい。

「裸足の季節」見てきた。

裸足の季節」と「ルーム」で二本立てだったけど、「裸足の季節」一本でいっぱいいっぱいになってしまったので後者はまた別の機会に見られたらいいな。
以下雑多に感想。ネタバレ。


冒頭の海のシーンはあっけらかんとしてたけど、日本でやっても眉を顰められるやつだと思った。学校に通報されるのが想像に難くない。10年位前の私の出身校では制服姿の在校生がお化粧して歩いてたらそれが学校に通報されるという話があった。それでも流石に家の判断で退学させられたりはしないだろうが。
で、当初祖母の仕打ちにぎょっとするんだけど、祖母独りの判断ではなく、もっとラスボスみたいな叔父がいる。
社会にそうさせられている感、というか、祖母は基本的に良かれと思ってやってる。

 

必死でフォローにまわってブレーカー落として電気を止める叔母には笑ってしまった。
コミカルで力が抜けてしまって(あと、つっかえてしまう場面も笑った)。
でも、ばれたら半殺しにされると姉妹が言ってるので、恐らく叔父の逆鱗に触れないようにというそれだけの理由で必死になっていたんだろうな。
上の世代の身内の女性たちには板挟みな面があるように思った。それに比べてあの叔父はなんなんだ?

 

田舎の旧弊という論じ方をした感想を見てなんとなく引っかかった。
学校に通える女性と通えない(正確には通えなくなる)女性の差、サッカースタジアムに行ける女性と行けない女性の差が同じ地域にもあるわけで、なんで?と思ったんだけど、家の方針が大きいのかなと。そして彼女たちの家で決定権を握っているのは叔父。

 

姉妹のうち長女と次女の結婚は明暗を分けた。
とはいっても次女の夫も恐らくそんなに(叔父ほどには)悪い人ではないんだろうとは思うのですが、それはたまたま悪い人でなかった(推定)だけで。決定権が実質ないこと自体が絶望的。
問題の初夜のシーツの話(処女検査も…)、有り得なくて笑ったという感想も見かけて、でもこれと同じ話どこかで見た気がするんだけどなあ…とは思ったものの、ひょっとしたらどこか外国の歴史の話と混同してるかもしれない。

 

更に性暴力の気配でぞっとした。
姉妹たち(の処女)を守るため、という名目の家の中で振るわれた暴力。絶望的。
私自身は三女と四女のことかなと思いながら見ていたのだけど、でも言い方悪いがあれだけ処女に商品価値を見出す人がそんなことするのかな?と思った。価値を損なわないやり方で行われる虐待も有りうるとあとから気づいて暗澹とした。次女にも影響が及んでいたのではというレビューとか。

姉妹が5人いたからこそできたことで、これがひとり娘だったらよほどの手腕がないとどうにもならないかもなあとか、実際どうにもならない女性がたくさんいるんじゃないかなあと思ってしまう作品だった。トルコがひどいというわけではなくて。どこにでも。
わりとマッドマックス怒りのデスロード。閉じ込めるための家が要塞になるの象徴的だった。

 

原題は野生の馬を指す「ムスタング」らしい。姉妹の、特に五女のイメージとぴったりの題だと思う。
裸足の季節」というタイトルの由来が私にはいまいちぴんとこなかったけれども、サンダルを履いてて運転手のお兄さんに何か言われて(覚えてないしニュアンスがちゃんとくみ取れない。都会ではサンダルが流行っている的な?)、次のときには赤いおしゃれな靴を履いてお兄さんに車の運転を教えてもらってちょっと靴を褒められるのが印象的だった。でも逃げ出すときはスニーカー。私は活動的な彼女にはスニーカーのほうが似合っていると思ったけれど、履きたい靴、おしゃれな靴を履きたいように履くこと自体が、楽しみなんだよね。

 

よその方の感想で素敵だなと思ったもの

hellopoem.hatenablog.jp

「シン・ゴジラ」見てきた。

 

 とりあえず2回。パンフレットは1回目まだあったみたいなんですけど2回目行ったら売り切れてました。
 元のゴジラをちゃんと見たことがないし別に怪獣の素養もないのですが、すごい情報量だし人の感想見るのも面白いし、色々読んだり書いたりしたくなる作品ですね。
 個人的に気になったこととか引っかかったところとかメモしておきます。ネタバレです。登場人物の名前がなかなか覚えられなくてごちゃごちゃなので間違ってたらごめん。

有識者三人について
 閣僚たちは無能ではなかった。それがもたついて見えるとしたら、有能な個々人が縦割り行政の中でうまく動ききれないということで、ラストシーンでの赤坂がまともに機能する組織を作ると言っていたのはそれを受けてのことだったのだと思う。(ただ、組織がうまく動いていたという指摘は約1万5000字の感想で読んでそれはそれで納得した。)
 フェアじゃないなと思ったのは有識者三人の扱いで、至極まっとうなことを言っただけなのにあそこまでdisられてしかも「御用学者」呼ばわりされる(それも政府側から)が納得がいかない。政府に認められて地位はあるという意味で原義に近いの?
 観客の私は東日本大震災の際に日本で物心がついていたので、あの後の流れをどうしても連想して、「政府に都合のよいようなことを言う(と見做された)研究者」というニュアンスかと思ってしまうのだけど、そうではない。「御用学者」という悪口が不当な、無根拠な中傷だった側面からは正しいのだろうか?
 それにしても学者(しかも仮名)が三人出てきたとき、その戯画ぶりに思わず笑ってしまった。ああこの三人がすごい切れ者なのかな??ってちょっと学者萌えな期待をしてしまったのにそんなことはなかったので余計にがっかりした分、悪意のある描写だと感じたようです。なんで(仮名)だったん?
 (二回目鑑賞後)結論を迅速に出せる知識が求められていて、今回呼んだメンバーでは役に立たず時間の無駄だった、ということか。でもそれはあの段階では無駄だった、人選ミスというかそういう仕事をするための研究者じゃなかっただけのことで、人が無能というわけではないのでは。
 とはいってもそれでも尾頭さんは正しい結論にたどり着けたのだしなあ。その差は何だったのか。貰った画像何度もチェックするような切実さがないこと? 学者三人は呼ばれて喋っただけだけど、あの画像は同じ条件で与えられていたのかしら。
 (その後)学者三人が映画監督である、映画監督に似せている、という情報を見て、そりゃもう含意がわからないわーと両手を挙げて降参しました。でもやっぱり「御用学者」という微妙にマッチしてない言葉をなんであえて出したんだ?フェアじゃなくない?という引っかかりは残った。前述の約1万5000字の感想がその辺の解明を試みていて、効果という意味で説得力がありました。

女性登場人物と萌えと恋愛要素について
 作中印象的な女性登場人物は、カヨコ、ヒロミ、それに花森さんなんですが、逆に言えばそれ以外は名前のある女性キャラクターは出てきません。
 それが閣僚とか官僚とかの現状の反映なのだろうなあとも思いますが、なんとなく歪な感じがありました。
 反対に無理に女性登場人物を出して興醒めとなるよりは良いのかもしれません。でも、これが普通ってやっぱり現状がおかしいんじゃないかな…? 「必要がない女性キャラを出すな」もわかるけど「必要がなければ女性キャラを出さない」は違うというか。そりゃ内閣腐も流行るよ! と思いました。
 例を挙げると巨災対のキャラ立ってる系メンバーにもう一人くらい女性がいたらきっと楽しかったのになあ。尾頭さんはクールなキャラとして完璧なんですが、感情移入する対象ではないのですよね。なんか、萌える対象として完璧というか。
 私が巨災対関係者になるほど優秀でとっぱずれた存在だったら、たぶん何かに気づいたときに一人で「あー!あー!」ってわざとらしく叫んだり、新しい知見を得られたときに思わず満面の笑みになったりしてる人だと思います。あ、そもそもそんなに優秀じゃないのは置いておくとして。
 安田があーあーいうとき周囲は多分「あ、なにか気づいたんだな(それを知らせたいんだな)」って気づくし、根岸さんが重要な発見を語りながら思わずにこにこしてたら「発見がうれしいんだな」ってわかるじゃないですか。外から何考えてるかわかりやすいじゃないですか。
 尾頭さんは、滅茶苦茶優秀だし頭の中いろんなこと考えて喜怒哀楽もちゃんとあるのでしょうがいまひとつ何を考えているのかわからない。だからこそ終盤の笑顔が素晴らしいんですけど、そんなわけで、萌える対象としては完璧なんだけど飽くまで萌える対象なんだよなあという感想を抱きました。
 ので、もう一人くらい「考えてることが分かりやすい系」のギーク女性も出してほしかったような気がします。
 ちなみに巨災対、尾頭さん以外も女性がいるとの感想を見ましたが、2回の鑑賞では確認しそびれました。

 …まあ、性別で分けることに無理があるのかもしれません。私だって自分はこれは安田か根岸さんタイプだな…って気持ちで胸がいっぱいになってたし(根岸さんのにこにこ顔たまらない)。
 少なくとも、女性キャラが出てきては恋愛!主人公その他と恋愛!という展開にならなかったのですっきり見られました。たまたま男性だったり女性だったりするだけ、という感じです。
 前述のブログ記事は鑑賞後の補助にいいなあと感心する次第ですが、「恋愛映画」のくだりでは解釈違いです。
 カヨコと矢口、あれを恋愛と言ってしまうと異性同士が立場を超えて意気投合したら恋愛になってしまうのでは?と私は思います。恋愛要素は見たい人が見れば良いもので、別にそれを恋愛と見たいならば見ればいいのですが(それだけの解釈の猶予を持たせてくれた作品に感謝します)、それならば私個人の感想としては、志村は矢口を恋うているともいえるんじゃないでしょうか????!
 内閣腐に関しては、今の自分としてはどれもおいしいけれども作品中の現状通りの恐らくはプラトニックであることに一番の価値があるのではという解釈なので、そういう意味ではあれもこれもどれも恋愛です。あと個人的には一部で夢見られているカヨコと尾頭さんの交流なども見られたら嬉しいです。

 それはさておきどこに書いたら良いのかわからないのですが、花森さんが怒声とともに机叩いて「総理、残念ですがここまでです」って進言するとこめっちゃかっこいいですね!

世界観について
 シン・ゴジラの世界では円谷英二が生まれておらず、そのため怪獣という概念がない、という話(https://twitter.com/saromaten/status/760654661711831040)を聞いて、その世界では戦隊ものは、ロボットアニメは、魔女っ子は、戦闘ヒロインはどんなふうになっていたのかなあ、と思った。よく似てるけど少しだけ違う世界、もっと見てみたかった。
 ゴジラ上陸後の「京急線以外は復旧」のアナウンスや、高校生たちが昨日大変だったねー!みたいにわいわい歩いてる姿から、あんなことがあったのに日常が戻ってきているのが不思議なような、怖いような、ぞくぞくしました。
 とにかく蒲田のがあまりにも怖かったというか生理的嫌悪を感じずにはいられない容姿が忘れられません。こんな災害への対策はしてません!と言われて、これからはしなくちゃ!ってつい思ってしまいました。落ち着いて。
 本当に災害で、いざ来てしまったら一市民にはもはや手の施しようがないし、でも意外と歩くスピードはゆっくり(すり足だった! 野村萬斎と聞いて序破急で進んだり飛び返ったりするの?と呟いたものですがそんなことはなかった。飛び返らなくてよかった)だから、進行方向を目視で確認することもできるし、自分のところに来なければ普通通りの生活ができるわけで、怖すぎる。
 あの世界で東日本大震災があったのかがずっと気になっているけれど、ゴジラが震災の津波その後の原発事故をなぞらえたような形になっていること、作中で一度も触れられていないことから、震災はなかったんじゃないかな派。それにしては避難等の対応がスムーズにいってる感はあるけど。どうなんだろう。

「オデッセイ」見てきた。

 原作未読です。

 冒頭、事故で置き去りにされる場面から治療の場面まで、しばらく心が痛んだりギャーッとなる場面があったりしたものの、その後は一定の前向きさ、諦めなさを保っていてすごいなあと思いました。
 処置の場面は、おおお自分でそれやっちゃうんだ…やるように訓練を受けてるんだな…!でかいホッチキスだ…! かっこいい…って思いつつそんなにアップにされるとつらい!という気持ちで動揺しました。見ごたえあるけど目はそらした。
 自分だったら仲間から隔たっていることに耐えられないかもしれないと思ったけど、通信手段を開いてからは遠くのチームのサポートを得ていて、励ましたりおちょくりあったりしていて、ずっと独りではなかったんだなという気にもさせられる作品でした。
 そりゃ勿論マークも素晴らしいんだけど、ジャガイモ食べたくなるかというとどうだろう…?という。前評判でもっと順調に行くかと漠然と思いこんでいたせいもあり、後半思った以上に空腹そうで悲しくなった。

 個人的には、ギークというのか、理系の…技術者的な…?(よくわからなくてふわっとしたことしか言えない)若干浮き世離れしたマイペース人たちが活躍するところを見るのが好きなので、その点とても満足です。中国系のおなかがおおきい人と力学さんが特にお気に入り。エルロンドにはにやっとしました。
 ただ私には登場人物の識別や役職の把握が追いつかなかったのと、誰がどんな専門を持った研究者なのか、一部の人は官僚出身の管理職なのか?(長官はスーツだけどその次にえらそうな白人のおじさんはもう少しラフなかっこうをしてるように見えた)とか気になったので原作小説を読んで確かめたいと思いました。

 船長が女性であることというか、メンバーの男女比?いや、うまく言えないのだけど、性別に特別な意味付けをしてなさそうなところに好感を持ちました。ですので、最後のほうのメットごしの内緒のやりとりにはやおいを感じました(最大限褒めている)。
 毛色が違うものを比べても仕方ないとわかっていてもテラフォを連想してしまうため、テラフォでメイン以外の女性キャラがお色気+何か恨みか仄暗い喜びでもあるのかと疑うレベルで惨殺されるのに比べると、なんと魅力的な女性描写だろう…と思ってしまった。比べても仕方ないんだけど、そして比べなくても実際に魅力的なんだけど。

 あそこで出てくるのが中国なのは、大国同士のやりとり、取引の緊張感、それを超えた(この辺は良くわからなかった)協力…?として筋が通っていると私は受け止めたので、日本じゃないのはけしからんとか中国贔屓とか怒り出すのは的外れだと感じました。
 それはそれとして、作中のNASAには中華系の人とか、色んなルーツを持つ人がいるような描写に見受けられたので、日系っぽい人もいないかな~と思いながら眺めていましたが、この人は日系!という見た目の人はいなくて、それが良いのか悪いのかはわからない。(→と思ったらリョウコという登場人物がいたらしい。どこで出てたか全く記憶にない)
でも一方で、

www.cinematoday.jp

という記事があったりして、記事によると「(原作では)アジア系として描かれていた2名のキャラクターが映画では黒人と白人に変えられた」(「白人化」もアジア系からの変更を指すらしい)とのことで、いろいろ難しいですね。

 どちらにしても原作が面白そうなので、読むのが楽しみになりました。

「リトルプリンス 星の王子さまと私」見てきた。

 やっと見てきたのでネタバレもします。2016年最初に見た映画です。

 

 どうもあの丸い顔の上に眼球が張り付いているかのようなアニメーションの絵柄にまだ慣れないでいますが、作中の星の王子さまの場面はストップモーションアニメで作られていて美しかった。
 女の子がガソリンのにおいを辿っていく描写、映像で表すの難しいだろうなぁ、とすごいクンクンしているのを見ながら思った。それとそう、塀の穴をくぐって茂みをくぐりぬけていく場面でトトロを連想しました。車の中を蝶が飛ぶ場面などアニメならではの映像では?

 

 私は原作が好きというわけではなく、たしか小学生の頃に父から与えられて読んでそのとき「好きじゃない」みたいな印象を持った、ような記憶があってそれっきりなのです。当時から物語を読むのが好きでしたが、父に買い与えられた本って記憶にある限り『星の王子さま』(岩波少年文庫)だけだったためか、なんだか余計に大人に読まされる本というような、避けたいイメージがありました。
 それで今回見てみて、「あれっ、こういう展開だったっけ」と困惑しました。情けないことですが、すっかり忘れていたのでした。
 と同時に、女の子がじいさんから聞かされた星の王子さまの結末を納得できず、受け入れられないで混乱する場面で、「ああ…そりゃそう思うよねえ、8歳だか9歳だかだったら尤もだよねえ」と思ったら涙が出ました。私も全然記憶にないけど当時同じように憤ったりしたのかもしれません。
 うっかり涙が出たのは場面はもうひとつあって、終盤のお見舞いシーンです。じいさんとちびっこの話に弱い。
 さらに言うならば、あの後おじいさんがその場にいなくてもおじいさんはいつだって心の中にいて、同時にお母さん(このお母さんは常に娘のために最善のプランを練ってレールに乗せてる「つもり」で、実際娘のことを心配しているのです)との信頼関係を新しく築くことになる、という場面が描かれるのは物語のテーマ上必然なんだけど、それでもちょっと寂しかったかな。というかそれならばがっつり『夏の庭』みたいな話にしてもよかったのでは。

 

 樋が外れた後の、きつねが動いている場面から、「夢オチかぁ…」と勝手に展開を読んでしまって、それで大人の街の描写もはちゃめちゃで子ども向けという感じがしたけど、実際子どもが体験している話なのでそれでいいのかもしれない。明白に夢オチにしなかった点は逆に好感を持ちました。
 不思議と私はこの作品では空を飛ぶ場面にわくわくしなかった。「夢オチかぁ…」と予想を始めてしまったせい(不純)でもあり、飛行機がビルに突っ込んだりしそうな絵面がちょっと怖かったせいでもあり。
 正直いってプリンスがあんなことになってるのは見たくなかった。それと、吹替えを聞いてなんだか聞いたことあるような声だなぁと思って見てたけど最後まで誰だかわからなかった(土師さんは特徴的なので気付いた)。プリンスの人は流石に声優さんらしい演技で、かえって巧みすぎて浮いてるようにも感じたため、字幕で見たらどんな印象だったのか気になる。

 

 現代では、ある部分では、『星の王子さま』的なもの(作中でサン=テグジュペリの「Le Petit Prince」が存在しているのか最後まで私の理解はぼんやりしていた)を読ませようとするのは学校なのでは、と思いました。でも一方では小説なんて、物語なんて、勉強の、社会的な成功の無駄だっていう学校や大人も存在してるんだろうなぁ。
 現代は、といってもあの作品結構アナログな印象ですよね。女の子の身の回りにテレビやスマホもなさそう…?なのは教育方針かもしれませんが。あるのは百科辞典みたいに分厚いテキスト。あの子は絵本とか物語とか、あるいはぬいぐるみとかこれまで与えられていたのだろうか。

 

 それで大人の私としては是非とも原作を再読せねば、したい、と奮い立ったのですが、ちょっと検索してみただけでも色々邦訳が出ていて色々な論難があり、どれを読んだものかわからねー! ついでに激しい論難を見て、やっぱりこれを大事な作品として抱きしめてる人は拘りが大変!というやや失礼な感想を持ったりしました。
 原書で読めないのが残念だな。原書で読んでもわからないものはわからないのだろうけど。

「スピン」ってなんだ

2015年11月10日更新のITmedia ビジネスオンライン
スピン経済の歩き方「本を愛する人」からTSUTAYA図書館が嫌われる理由

www.itmedia.co.jp


を読んでいたら、7ページ目に、

水を差すわけではないが、今の市立図書館は「子供たちの知育の場」とは到底言い難い場となっている。平成26年度の『周南私立図書館年報』を見れば、館外貸出登録者数の個人内訳で幼児は0%、小学生は4%にすぎず、23歳以上が81%を占めている。周南市において図書館は、「本好きの大人」のものなのだ。

0パーセント!?とびっくりしたので、ちょっと調べました。

平成26年度版の「周南市立図書館年報」(平成27年3月31日現在)
PDF https://library.city.shunan.lg.jp/pdf/26nenpou.pdf

p20に「館外貸出登録者数」が掲載されています。
確かに、幼児の登録者数は353人で、円グラフでは0%となっています。

しかし、周南市の人口統計はどうなっているのでしょうか。

周南市 市の人口
http://www.city.shunan.lg.jp/section/shimin/jinkou.html


 地区別年齢別人口のPDFファイルが掲載されています。
 11月10日時点で、平成27年10月31日現在のデータが載っていました。
 PDFファイルの末尾に合計があります。それを手計算して大まかに貸出登録者数とつき合わせ、利用者登録率を見ました。
(年度も違うため厳密には対応しておらず非常に強引なやり方です。計算間違いがあったら申し訳ない。)

  • 0~5歳が6,924人、これを幼児の登録者353と対応させるとすると登録率5.1%
  • 6~14歳が11,562人、これを小学生+中学生の登録者5,419と対応させるとすると登録率46.9%
  • 15~24歳が13,480人、これを16~22歳の登録者8,272と対応させるとすると(きちんと対応していませんが)登録率61.4%
  • 25歳以上は、総人口147,601人から上記3つを引いて115,635人、これを23歳以上の登録者61,193人と対応させると、登録率52.9%

 総人口は147,601人で、全館登録者数75,237と対応させると、総人口のうちおよそ半数の人が利用登録をしていることになるでしょうか。

 この数値をどう読むべきかはわかりませんが、少なくとも、小中学生および十代から大学生程度までに関しては、貸出登録率は、大人に比べて目だって低いとはいえません。そもそも子どもが少ないのですから。(こういうときのために年報に登録率を載せてあるといいなとは思いました)
 "周南市において図書館は、「本好きの大人」のものなのだ。"という表現が当てはまるとは思えませんでした。

排列チェック

 海老名の図書館に行った記録のキッズライブラリー編にブクマコメントをいただきました。

"「排列」という誤字がいっぱい残っているので、検索・置換をかけるべき"


 コメントありがとうございます。
 今回の図書館の棚の並びに関しては「排列」は誤字ではないと考えています。

 

 お手軽にレファ協事例から。
「排列」と「配列」、「排架」と「配架」について知りたい。(近畿大学中央図書館)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000134191
 回答の中に「目録の「排列」と「配列」」という論文のPDFへのリンクがあるので興味がある方は読んでみてください。
・「排」の字には「ならべる」という意味がある
・図書館用語として「排列」「排架」表記の用例がある。ただし現在は「配列」「配架」も使う。戦後の漢字制限の影響のため。
ということのようです。
 ちなみにレファ協にはハイカ関係の事例が他にもあり、「配架 排架」等で検索できます。

 

 ただし、ひとつの記事内で表記が揺れないように注意したいと思います。今回はなかった。

 

 ブログタイトルも空欄のまま記事を書き始めてしまいましたが、ようやく名前をつけました。
 何か見にいったり紙やらwebやらで読んだりした感想を呟くのに思い出すスペースにします。見よう見まねで引用タグとか使ってみたけどこれであってるんだろうか…。
 恐らく稼働率は低いです。